おんな城主・直虎は男だった!・・・なぜ今?根拠となる史料と真偽

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1月8日 夜8:00より放送開始される、今年のNHK大河「おんな城主 直虎」

去年の「真田丸」が面白かっただけに今年も・・・と期待がかかる今作。

しかしタイトルに「おんな城主」とついていますが、実は最近男だったのでは?という新説が広がっています。

番組が始まる直前、このタイミングでの新説・・・NHKを始め脚本家やスタッフも頭を抱えてしまっているでしょう。

なぜ今?一体どういうこと

なのでしょうか?

この件について詳しく見ていきます。

画像引用元:https://twitter.com/nhk_naotora

井伊直虎とは

あまりネタバレにならないよう簡単に説明します。

特集とかで知ってる人も多いかとは思いますが・・・

 

  • 生年不詳~1582年没の女性
  • 父は井伊谷城主の井伊直盛、母は新野親矩の妹の祐椿尼
  • 直盛のいとこである井伊直親が許嫁だった
  • 伊那へ落ち延びた直親は奥山親朝の娘と結婚し、生まれたのが直政
  • 幼いころ出家して次郎法師と名乗る
  • 後に徳川四天王と呼ばれる井伊直政の養母になる

 

というのが今までの通説です。

直虎は史料がかなり少なく、考証するのが大変ですね。

 

男である根拠を示す史料とは?

画像引用元 https://www.gamecity.ne.jp/sengoku4/chara/naotora.jpg

 

まず1568年に井伊谷一帯に徳政令を出した際、新野親矩の兄と伝わる関口氏経との連名で記載された名が「次郎直虎」であり、これが次郎法師であるとされてきました。これ以外に「直虎」の名前が出て来る古文書はありません。

 

そして京都府京都市東山区花見小路下ル 4丁目にある「井伊美術館」。

 

この井伊美術館では井伊家に関する史料を収集しているのですが、2016年12月14日に井伊直虎と名乗っていたのは次郎法師という女性ではなくいとこの男性だったのではないかと思われる史料が新たに確認されました。

 

その史料とは「守安公書記(もりやすこうしょき)」または「雑秘説写記(ざつひせつしゃき)」と呼ばれる書です。

画像引用:http://www.ii-museum.jp/blank-20

1640年に彦根藩を治めていた井伊家の家老・木俣守安がおばから聞いた内容を書き残し、それを子孫である木俣守貞が江戸中期に書き写したと伝えられる。

だから”守安公書記”なんですね。

 

この史料では”東海一の弓取り”こと今川義元の嫡男である氏真の配下であった井伊家について記されていました。

 

  • 井伊谷の領地は新野左馬助親矩の甥である井伊次郎に与えられた。そのため井伊次郎は新野左馬助親矩が世話をした。
  • 関口越後守氏経の子が井伊次郎で今川氏真より井伊谷を宛がわれた。
  • 井伊谷は力を持った武士たちが暴れまわって仕方ないので、関口越後守氏経の子を井伊次郎として、井伊谷を宛てがった。

 

これで井伊次郎は関口越後守氏経の息子で、新野左馬助親矩の甥ということがわかります。

次郎法師は新野左馬助親矩の娘。

井伊次郎が新野左馬助親矩の「甥」ということは、男であり次郎法師(女)とは別人でいとこ。

次郎法師は徳政令に反対だったそうなので、連名した二郎直虎は別人で男である可能性がある。

 

つまりこの関口越後守氏経の子「井伊次郎」=「次郎直虎」であり「井伊直虎」と名乗ったと考えるのが自然ではないか、ということですね。

 

まぁ時代を考えると女城主は圧倒的に少なく、次郎法師が「井伊直虎」と名乗った史料もありません。

そういう背景もあり今回の新説が出てきたようですが、たしかに男である可能性は否定できないですね。

私はこの説を支持してますが・・・真相は結局闇の中ですね。

 

しかしなんか同じような名前が多くて混乱しますねw

大河でも視聴者は混乱しそうです。

 

他の女城主・当主

 

戦国時代にも女城主や当主みたいな女性がいました。何人か紹介していこうと思います。

 

  • おつやの方(生年不詳~1575年没)

織田信長の叔母であり、年下だったとも言われる悲劇の女性。

遠山景任の妻になったが、景任の病死後は養嗣子の信長五男・坊丸が幼かったことから城主となる。

1572年 武田信玄の侵攻により降伏。武田家の武将・秋山虎繁と婚姻したことで信長は激怒。

1575年 長篠の戦いの後に岩村城は織田家に落とされる。秋山虎繁は赦免するとの情報に騙され、捕縛。

長良川付近で磔刑に処され、おつやの方も逆さ磔で処刑、または信長自身が斬り捨てたとも伝わる。

 

  • 立花誾千代(1569年生~1602年没)

大友家の名将・立花道雪こと戸次鑑連の娘で「ぎんちよ」と読む。

道雪には息子がいなかったため、主家から正式な許しをもらい娘である誾千代が7歳の時に家督を譲られ立花城主になる。

「忠義も武勇も鎮西一(九州一)」と関白秀吉に褒められた立花宗茂と結婚したが、不仲であり道雪死後別居している。

武勇に関する言い伝えが多く、関ヶ原の戦いでは居城から甲冑を着て出陣したとも伝わる。

しかし1602年 病にかかり死去。享年34。

 

他にも今川家の政務を取り仕切った「寿桂尼(義元の母)」、肥前の熊・龍造寺隆信死後、龍造寺家の国政に関わった「慶誾尼(隆信の母)」など、戦国時代には当主並みの権限を持つ女性も多いんですよね。

当時の女性は政略結婚の道具として扱われることが多かった時代ですから、いかに凄いかわかります。

 

終わりに

 

今回の大河は鬼門とも言われる女性の主人公。

今まで女性を中心にした大河はだいたい評判が悪く、今回もそうなるのではないかと思われている矢先にこの新説が出てきたわけですから、番組スタッフも歴史研究家も困っていることでしょう。

もう撮影は始まってしまっているわけですしね。

 

さらに女城主直虎で町おこししようとしている地元の浜松の方には迷惑千万でしょうねw

 

しかしまだこれは推測の域を出ていないので、今後また新しい資料が出てくれば展開も変わるかも。

 

ともあれ大河はいろいろ辻褄があわないこともあるのですが、そこはフィクションとして楽しむのが一番ですね。

主人公役・柴咲コウさんの演技にも期待しましょう。

 

 

以上、<おんな城主・直虎は男だった!・・・なぜ今?根拠となる史料と真偽>でした。

 

 

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